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  • >ハナシの畑〈01〉久宝 めぐみさん
ハナシの畑

たった一度の人生だもの、やりたいことを諦めないで。

栗山町大井分地区
『久宝農園』

久宝 めぐみさん (平成26年就農)

竹を割ったような、といったら失礼だろうか。
新規就農者の一人、久宝めぐみさんの話しぶりは、実にストレートだ。言い淀むことなく、
自身の考えや思いをシンプルに伝えてくる。
だからだろうか、話を聞くのがとても心地よい。

就農をあと押ししたのは、
リーマンショック?!

出身は兵庫県姫路市。大学で電気工学を学び、システムエンジニアとして関西に就職した。加速するIT旋風を追い風に、順風満帆な企業人生活を送った。世界経済を震撼させた2008年のリーマン・ショックに見舞われるまでは…。

「給与も仕事も半減しました。それまでの自分の技術に自負と自信があった分、ショックも大きかったんです」

景気に振り回される人生なんて…、そう悟った久宝さんはこれを機に退職。実家で祖母の面倒をみるなどしていたという。そんな最中、大阪で開催される新・農業人フェアの知らせが目に留まった。祖父の代まで兼業農家だったこともあり、農には関心があった。

このフェアで紹介されたのが北海道鹿追町。思い立ったが吉日とばかり、とある農家で夏場3ヵ月の農業研修に入る。折しも農作物の収穫期。オフィスワークに浸ったひ弱な体にとって、収穫作業はあまりに重労働だった。体の節々が悲鳴を上げ日に日に体重も落ちていった。それでも久宝さんは途中で投げ出すことはなかった。

「むしろ楽しかったんです。草に野菜に花に虫に鳥…畑の周りは生き物だらけ。こんな感動は都会では味わえませんでしたから」

半ば思いつきで参加した農業研修だったが、それは久宝さんが本格的な就農を目指す大きなきっかけとなった。前途が多難なことは容易に予想できたけれど、自分が進むべき道ははっきり見えた。

「目指したのは、独立就農。会社のせい、景気のせいを言い訳にできない舞台で頑張ろうと決めたんです」

就農の農地がない…という
危機を乗り越えて。

2011年秋、富良野での農業ヘルパーの参加を経た久宝さんは、再び北海道農業担い手育成センターに農業の研修先を打診する。そこで紹介されたのが栗山町だった。まずは玉ねぎ栽培農家で一年の実習を経験し、さらに多くの知識を吸収するために大井分地域の農業生産法人、有限会社粒里の研修生となった。

「女性だし、経験も浅いし、技術はガーデニングレベル。それで独立就農を目指すなんて…多分社長はすぐに音を上げると思ったんじゃないかな(笑)」

今でこそ笑う余裕もあるが、その時点で独立就農までの猶予はわずか一年。ノウハウを蓄えるために毎日が必死だった。同社のハウスや畑だけでは満足できず、近隣農家や普及所に足を運び、トマトの栽培技術を聞いて回った。その一方でこの地に溶け込むために人脈作りにも奔走した。就農準備金を元手に新車の軽トラックを購入したのもこの頃。農作業の効率化のため、そして、もう後戻りはできないと自分を追い詰めるためだ。

研修の最終年はまたたく間に過ぎ、2013年秋彼女の農業研修は終了を迎えた。技術も人脈も未熟だったが、一番気がかりなことは『農地が見つかっていないこと』だった。

「公社の担当者もまずは農業法人に就職してゆっくり農地を見つけていけば?と言ってくれたのですが、従業員になるのは絶対にイヤでした」

脳裏に2008年の苦い思い出が蘇る。独立就農でなければ、農の道を選んだ意味が失せてしまう。しかし土地は一向に見つからない。就農の夢は諦めなければならないのだろうか…途方に暮れかけた時、その様子を見かねてだろう、研修先だった粒里の代表大西勝博さんは、久宝さんにこう切り出した。

「じゃ、このまま、ここでやりなよ。ハウスも貸してあげるからさ」

最後の最後にどんでん返し。幕切れに用意されていたのは、つい先日まで研修を経験していた畑での就農という灯台下暗し的な筋書きだった。兎にも角にも4年ほど温めた彼女の夢はこうして現実のものとなる。2014年春のことである。

初年度の赤字経験を
次年度に活かしながら

合計5反(内ハウスが4棟)という、就農条件の最小面積で久宝さんの独立就農がスタートした。夢はあったがその一方不安もあったという。

「社長の温情には感謝のひと言ですが、いつまでも借地での営農という訳にはいかない。補助金の期限もあるので数年以内に土地を購入し経営も軌道に乗せなくては、という使命を感じていました」

作付したのはミニトマトやキャベツ、キュウリなど。研修の二年間で得られなかったノウハウや知識は、それまでと同じようにご近所の農家、農協や普及所を訪ねて補った。キュウリが病害虫に侵された時は、長沼町の先輩農家のもとに足を運び指導を請うた。

「ネットや専門書でもよく勉強しました。もともとエンジニアですからね、研究を突き詰めていくのが好きなのかも」

とはいえ初年度からうまくいくほど農業は甘くない。経費節減のためにパートさんを雇わなかったこともあり、夏からは収穫作業に忙殺された。そのせいか、出荷の手順でいくつかのミスを重ね、キャベツに至ってはそのほとんどが出荷できないというアクシデントにも見舞われた。

その一方で、町内農家とのネットワークも広がり、値ごろ市(*湯地の丘自然農園/渕野さんの項 参照)に出荷できるようにもなった。初年度の収入は200万円弱。補助金の150万円で生活はできるが、家賃や燃料代、種や苗の購入費を除くとやはり赤字だった。

こうした反省を踏まえ二年目となる今年は、まずパートさん一人を雇い入れた。繁忙期は増員し収穫の遅れは皆無となった。作付計画も練り直した。様々なニーズが舞い込むミニトマトは3品種から11品種に増やし、逆にキュウリのハウスを一棟減らし定植時期もずらした。高価格で取引され冬まで販売できるニンニクは、栽培規模を7アールにまで拡大した。

「ミニトマトだけで100万円の売上を見込んでいます。総額にすると昨年の二倍近い収入となるのでは」

改良の余地はまだまだあるだろう。しかし就農二年目の久宝農園の進歩ぶりには、目を見張るものがあるというのが周辺農家の評価である。

女性だって
就農の夢を実現できる時代なんです

農に関しては意見をまっすぐに伝えてくる久宝さんだが、ときおり女性らしい叙情的な感性を口にする。例えば、なぜ就農の場として栗山町を選んだのかという質問への答えは、“故郷の景色に似ているから”。

「公社の就農の支援も制度も納得がいくものだったし、多品種栽培という先進的な営農スタイルも魅力でした。実際に暮らすと町民や先輩農家の人たちがとてもオープンなこともよくわかりました。気が置けない同年代もたくさんいるしね。でもそれらは後づけの理由。きっかけは栗山町の跨線橋の風景が、姫路に似ていたから。あのシーンに運命を感じたんです」

そんな彼女も栗山町での生活は5年目。二年間の研修や独立就農など、これまでの歳月を振り返って思うことはなんだろう。

「改めて思うのは、研修で学べるのは農業の基礎の基礎だけだということ。私の場合もこうして就農し、失敗を繰り返す中で学んだことは山ほどありますからね。ただそうやって得た知識や技術は絶対に忘れないし、明日からの糧にもなります」

むしろ研修期間は、受け入れ農家や周辺の方々との人間関係を築くことに専念した方がいいというのが久宝さんの考え。今日まで周辺との人的ネットワークに何度となく救われた経験があるからだ。

最後に「女性の就農」という見地から意見を求めた。うーんと首をひねった後、久宝さんはこう言った。

「就農は女性には荷が重い… 嫌になるくらいこの言葉を聞いてきたけれど、今こうして独立就農できています。本気だったら女性も男性も関係ない、絶対になんとかなるものなんです。なので、私のように本気で挑戦してみたいという人がいるなら、『やってみなよ!』って言ってあげたい。たった一度の自分の人生だもの、後悔はしてほしくないし、最初から可能性を潰すなんてもったいないもの」

その夢を実現する舞台として栗山町を選ぶなら?

「ぜひぜひ、私のところを訪ねて。アレコレ、ここに載らなかったことまで、いろんなお話を夜通ししましょ(笑)」

〈平成27年8月取材〉