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ハナシの畑

ゴールを見据えて、工夫を重ねて。やる気が燃えたぎってるなら、資金面は何とかなるものなんです。

栗山町御園地区
『栗山いちご農場 おがファーム』

小川 晃寛さん・久美子さん(平成27年就農)

13町(約13ha)の土地の一角にいちごのハウスが14棟。
この比較的規模の大きないちご農場を切り盛りしているのは、
驚くことに新規就農1年目の小川晃寛さん。
年齢も29歳とかなりの若手だ。
けれど、会話を交わした印象はクレバーな経営者。
農業をビジネスの角度からもきちんと捉え、計画的に数字を見つめている。

3000万円の借り入れ金も、
先を見越せばリスクではない!?

「作業しながらでゴメンナサイ。このところ収穫作業に追われて、子どもたちと遊ぶ時間もとれなくて…」。小川晃寛さんが、奥様やパートさんとともにいちごを選別しながら申し訳なさそうな表情を浮かべる。忙しく立ち働く姿に声をかけるタイミングを逸してしまったが、「本当に遠慮なく聞いてくださいね」の一言と屈託のない笑顔が取材スタートの合図となった。

小川さんの出身地は大阪。いくつかの仕事を経験するうちに、いつしか農業というキーワードが頭をよぎるようになったという。が、自身でも「軽い考えで恥ずかしいんだけど」と前置きしながら、「最初は玉ねぎをつくってみたいなと。だって体に良さそうな食材でしょう(笑)」とはにかむように農への入口は“ぼんやりした興味”だったようだ。

とはいえ、一度心に引っかかった事柄は経験してみないことには気が済まない性分。小川さんは香川での1週間の農業体験を経て、思い切って東京の新・農業人フェアに参加した。そこで紹介されたのが、中富良野町で土地利用型の有機農業を展開している農業生産法人だった。

「じゃがいもや人参、とうきびにかぼちゃ。さまざまな農作物の栽培を経験することができました。野菜は愛情を込めた分だけおいしく育つということも知りました。反面、広大な農地で有機栽培に取り組むのは、作業量も膨大だということも身をもって感じたんです」

小川さんが働いていた農業生産法人は、スタッフに経営情報を開示するオープンな社風。決算書の内容を見ているうちに、従業員数に対する売上額や農作業にかかる諸経費、設備投資のリスクなど農業経営の成り立ち方を熟考するようになった。加えて小川さんはサラリーマン気質ではなく自ら道を切り開きたい起業家タイプ。次第にできる限りリスクを抑えた新規就農の手法を模索し始めるようになった。思案を重ねること4年。ゴールまでの筋書きを描けた瞬間、“ぼんやり”だったスイッチが経営者になりたいという“本気モード”に切り替わった。

『すずあかね』出荷の真っ最中

第三者経営継承と、
「栗山」が新規就農のポイントに。

中富良野町の農業生産法人に4年間勤めた後、小川さんは新規就農に向けて二つの方針を固めた。一つは、第三者経営継承の道を目指すということ。第三者経営継承は栽培技術や経営管理のノウハウを教われるだけでなく、販路・農地・機械などその農家の持つさまざまな資産を丸ごと譲渡してもらえる。農業の基盤づくりに手間をとられず、すぐに営農のスタートを切れるしくみだ。 「継承ではなく、畑や栽培方法、売り先などを自分の考えでゼロから作り上げていくのも魅力的でしたが、でも、初期投資や赤字のリスクを考えると、お世辞にも資金が潤沢とはいえない僕にとっては選択肢から外さざるを得ません。とはいえ、第三者経営継承を望む農家がいても、譲渡の確約がなければ面談すらNGというケースが多くて…。ワガママかもしれないけど、その農家の営農方法や経営内容をきちんと把握した上で、継承するかどうかを決めたかったんです」

第三者経営継承の情報をつかむため、小川さんは札幌の新・農業人フェアに何度も足を運んだ。毎回折り合いがつかず肩を落として帰路につく日が続いた中、2012年に耳を疑うような話が舞い込んできた。「いちご農家の親方が離農を考えていますよ。しかもお互いの意向をすり合わせてから継承を決めてもいいって」。願ってもない情報を提供したのが栗山町農業振興公社。しかも、そのまちのロケーションがおあつらえ向きだった。

「実は、二つ目の方針が札幌近郊での新規就農だったんです。都会のライフスタイルもある程度受け取れて、新千歳空港にアクセスが良い場所が理想でした。故郷の大阪やかみさんの実家がある東京にも帰りやすいですから。栗山町は“農”でも“場”でもまさに望み通りのまちだったんです」

小川さんは栗山町農業振興公社の面々も交え、第三者経営継承を望む農家と面談。わずかな時間では条件や引き継ぎ方がうまくすり合わせられなかったことから、数日後に二人だけで話し合いの場を設けた。中富良野町の4年間で得た経験、現在の懐事情、そして未来にかける熱い志。ぶつけた思いの丈は親方となる農家の心を射止めた。2013年の春、小川さんは栗山町で晴れて研修生として汗を流すことになる。

親方の収支内訳が、
借り入れを返せる確信に。

2年間の研修では、いちごづくりをイチから学んだ。基本的な栽培技術からリスクを最小限に抑える迅速な決断、収量やおいしさを左右するここ一番のタイミングまで、親方は持てる全ての技術を惜しみなく伝えてくれた。 「親方は師匠として尊敬できる実力と、懐の深さを併せ持っています。こればっかりは運だけど、栗山町農業振興公社は本当に素敵な人を紹介してくれました」と小川さんは相好を崩す。

2015年の4月。満を持して親方からいちご農場の経営を継承する時が来た。小川さんが農地や家、機械を譲り受けるために借り入れた金額は何と3000万円。10年後には耳をそろえて返さなければならないお金だ。ここでふと疑問が浮かぶ。さまざまなリスクを回避するために第三者経営継承の道を選んだにも関わらず、そんな巨額の借り入れを背負うことにためらいはなかったのだろうか。

「親方はこれまでの収支も包み隠さず教えてくれました。その内容はコンパクトながらも強い経営。年間の手取りとして最低でも400万円、うまくいけば1000万円は残せる計算が成り立ったんです。販路も丸ごと引き継げましたから、例え大きな借金があっても必ず返せるという確信が持てました」

小川さんは新規就農前の資金繰り対策にも抜かりはなかった。補助金制度の青年就農給付金が入る時期は8月。それまでに収入がなければたちまち運転資金が苦しくなることを見越し、前年の秋にいちごを定植。冬場はハウスのビニールを二重に張ることで雪の重みに対抗した。結果、GWという早めの時期からいちごを出荷でき、給付金が入るまでにある程度の蓄えを確保できたのだ。

順風満帆ですね、思わず口をついた言葉に小川さんはこう切り返す。

「及第点にはほど遠いと思います。研修中、親方の行動を逐一メモにとっていたおかげで、現在のところは大きなミスがないという感じです。それに親方は温かく見守ってくれるだけでなく、今も助っ人として作業を手伝ってくれたり、困った時にはアドバイスしてくれたり。助けがなければどうなっていることか…感謝してもしきれないくらいです」

農業はビジネス。だけどやっぱり、
「おいしい」はうれしい。

小川さんがインタビューを通して繰り返し強調していた言葉は「資金がなくても諦めないでほしい」。第三者経営継承や補助金といった制度を活用することにより、やる気と工夫次第で新規就農の道は必ず開けると語気を強めた。一方で、新規就農を目指す人にこんな厳しい一言も。

「農的暮らしをしたいとか、他の職業に向いていないからとか、動機が弱いと農業を始めるのは難しいかもしれませんね。自らのゴールをきちんと定めて戦略を立て、なおかつきつい農作業にも耐えられる気概が必要だと思うんです」

最後にちょっと気になる質問を投げかけてみた。初めに抱いていた玉ねぎをつくりたいという気持ちはもうなくなった?

「う?ん…いつかはつくりたいんですが…。今は栗山町に人を呼ぶために、いちご狩りの準備を整えているところ。今年、試験的にいちご狩りを始めてみたら、本当にお客様が来てしまって(笑)。だけどその時の“おいしい”って言葉と笑顔が忘れられないんです。玉ねぎづくりの前に、もっとおいしさを追求したり、ケーキ用の使いやすいいちごを育てたり、解決しなければならない課題は山積しています」

ビジネスの話題も数多く飛び出したけれど、小川さんはやっぱり根っからの農業人。熱くて、いつも一つ上の技術を目指していて、そして何より“おいしい”の言葉が頑張る原動力になっているのだ。

〈平成27年8月取材〉