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ハナシの畑

ゴールを見据えて、工夫を重ねて。やる気が燃えたぎってるなら、資金面は何とかなるものなんです。

栗山町北学田地区
『城地ファーム』

城地 秀吾さん(平成27年就農)

新規就農“1年生”の城地秀吾さん。
彼に抱いた第一印象は、月並みな表現かもしれないけれど「いい人」。
話しぶりも表情も穏やかで、一緒に居ると心がじんわりと温まっていく。
とはいっても、農業の世界では時にシビアな判断や粘り強い交渉も必要なはず。
「いい人」だけでは通用しないこの道に、あえて進んだ理由から尋ねてみた。

会社勤めか独立就農か。
分岐点で背中を押してくれたのは…。

城地さんが農業という仕事を意識し始めたのは10年ほど前。当時はビニールの加工会社勤務。さまざまなお客さんに対応したが、特にハウス用の資材を求める農家の話を聞く機会が多かった。自らものをつくり、自ら販路を開拓し、評価や責任もすべて自分に返ってくる。会話を聞くにつれ、雇われの身では経験できない生き方に強く憧れるようになった。

「だけど、当時は20代の半ば。農業で食っていくんだ!と真剣に考えていたワケではなく、おいしいという反応がダイレクトに伝わってくるのってやりがいがあるんだろうな…と淡い思いを寄せていた程度です」

その後、城地さんは生活基盤を底上げするためにさまざまな職を転々とした。が、労働時間に見合わない給与、殺伐とした人間関係…仕事にまつわる悩みの種は尽きなかった。不満をぶつければ解消する問題もあったかもしれないが、やさしすぎるほどやさしい城地さんのこと、喉まで出かかった言葉をグッと飲み込んできたのだろう。

心にどこかモヤモヤを抱える日々の中で、ふくらんできたのは農業への思い。けれど安定した会社勤めを続けるか、すべてが自己責任の農業経営の世界に飛び出すか、城地さんの心は揺れ動いていた。

「そんな僕の様子を心配していたのでしょうか、父が背中を押してくれたんです。“悩んで立ち止まっているくらいなら、失敗する覚悟で農業をやってみろ”って。当時、父は北海道の農政課に勤めていたので、就農関係の情報も教えてくれました」

父の一言で心は決まった。城地さんがまず向かった先は地元の岩見沢市役所。ところが新規就農の空きがないタイミングで、北海道農業担い手育成センターの関係と父の仕事の関係で栗山町を紹介された。栗山町農業振興公社の動きは早く、何とか上手くサポートができないかと、城地さんの就農までの道のりをイメージしながら様々な調整をすぐに開始したのだとか。とはいえ城地さんの農業経験はゼロ。手始めとして滝川市の花・野菜技術センターで農業の技術研修を受けることにした。

ビギナー向けの研修はありがたい…けど
もう少し実際の農家に近い経験が必要。

城地さんが花・野菜センターで選んだ研修は、半年間かけて高設のいちご栽培を学ぶコース。なぜいちごを?と投げかけたところ、「単純だから言いたくなかったんだけど…好きだから(笑)」とはにかんだ。

いちご栽培や土づくりの実地研修、病害虫対策の座学。城地さんが初めてふれた農業はただただ楽しかった。実は同センターの温室はガラス張りで、自動換気システムも備わったスペックの高い施設。虫が入ってくることも少なく、風通しを考える必要もない。ゼロから農業のスタートを切るにはハードルが低く、まさにビギナー向けだったのだ。「今振り返ってみると“辛さ”も体験できたほうが現実とのギャップも少ないかな」と城地さんは苦笑した。

春から始まった半年間の研修はあっという間に終わりを告げた。季節は10月になっていた。城地さんの農への探究心は高まる一方。しかし、雪が大地を覆ってしまう北海道には冬期の研修先はない。もっともっと学びたい。そんな城地さんの心意気を汲み、手を差し伸べたのが栗山町農業振興公社。鹿児島県の農業生産法人と連携をとっていることから、県西部にある出水市の株式会社あおぞら元気農場を紹介したのだ。

「僕にとって願ってもない話で、一も二もなく飛びつきました。鹿児島県の研修先ではいちごの収穫や摘花作業を中心に学び、時には市場に出荷するところまで手伝ったんです。自分が携わったものが世に出る、といううれしい感情も初めて味わえましたね」

ここでも半年ほどの研修を経て、城地さんはいよいよ栗山町へ。本格的な経験を積むために、御園地区のいちご農家に研修生としてお世話になることになった。ところで、出身地の岩見沢市ではなく、栗山町で暮らし働くことには抵抗がなかったのだろうか。

「僕にとっては田園風景が広がるまちのほうが落ち着くみたい。祖母がいた新ひだか町の三石が思い出されてふるさとって感じもするし、そこら中に畑があるから先輩農家の作業姿を見るだけでも勉強になるんです」

身をもって知った、
リスクにつながる判断ミス。

城地さんが独立就農を果たしたのは2015年の3月。北学田地区に住むところを買い、小さな農地を借りた。今はこれまで学んできたいちごを中心に、パプリカや米なすをつくって直売所「値ごろ市」で販売している。ここまでたどってきた道のりは順風満帆。となると、苦労話を聞いてみたくなるもの。

「う〜ん、僕の場合は早く農業を始めたいって一心で。そんな気持ちが栗山町農業振興公社にも伝わっていたからでしょうか、何もかもスムーズすぎるくらいすぐに決まりました。栗山町で研修を始めて1年ほど経ったころには小さな土地を借りて実地的にいちごを栽培し、直売所で販売もできたんです」

だが、肝心の農作業の面では苦戦に次ぐ苦戦。苗が混ざって品種が分からなくなった。育てたいちごの3割以上が病気や害虫でダメになった…等々。座学では知り得ない農業のポイント。実際に自分で経験しなければ掴めないコツ、それら小さな勘どころを押さえられなかったことで、直売所での売上はふるわかなった。

「いちごの苗や肥料、薬品の代金といった経費も思っていた以上にかさんでしまって…。自分が経営者になるんだという覚悟は持っていましたが、一つの判断ミスが大きなリスクにつながるんだって身をもって知らされました」

農作業は甘くない。会社勤めのころと比べて収入が増えたわけでもない。けれど、城地さんは肩を落とすことなく、将来は機械を導入して一季成りイチゴと四季成りイチゴのハウスを大規模展開したいと目を輝かせた。

「栗山町の先輩農家の皆さんは、面倒見がいいとうか、僕の人となりを受け入れてかわいがってくださいます。だからアドバイスを請うたり、分からないことを質問したり、困った時に声をかけやすいんです。一言一句が全て教えだと思って、時には冗談まじりの話も真剣に聞いてしまったりします。体力とか精神力とか器用さとか、農業にはいろんな能力が必要。だけど、僕がまだ全てを担えないのは先輩農家の皆さんも分かっていて、いつも助けてくれるんです。温かく見守っていただけるのは本当にありがたく思います」

城地さんが明るい未来を描ける理由。それは栗山町の頼もしい先輩農家の存在があるからだ。農作業はまだ荒削り、さらに収支の見通しが甘いところもあるけれど、城地さんの心は農業に真っすぐ。周りの皆さんがついつい手を差し伸べたくなるのもうなずける。インタビューを締めくくるころには「いい人」のイメージが、「ピュアで芯の強い人」に変わっていた。

〈平成27年8月取材〉