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ハナシの畑

持ってきたのは「熱意」だけ。それでも就農できたのは支えてくれる人がいたからなんです。」

栗山町日出地区
『すごうfarm』

須郷章生さん・尚子さん
(平成27年就農)

作業場を訪ねると、都会人風のおしゃれな男性がペコリと会釈した。
お名前は須郷章生さん。日出地区の新規就農者だ。
そんなカジュアルな出で立ちにもかかわらず、
インタビューの最初の一言目は、
「口下手なので、うまく話せるかどうか。お手柔らかにお願いします」。
座が一挙に穏やかになったところで、取材がスタートした。

日に日に膨らんでいく、
農の仕事がしたいという思い。

出身は札幌。前職は不動産系企業の営業マン。23歳の時に結婚し、幼い子どももいた。決まった日に振り込まれる給与、そして安定した生活。すべてが順調だったが、須郷さんは胸の奥で、かすかな空しさを感じていた。

「ずっと農の仕事がしたいという思いを抱えていたんです。でも最初は単なる夢でした」

家庭がある。子どももいる。安易な冒険はできない…自分にそう言い聞かせた。しかしそう思うほど、そう考えようとするほど、農に対する思いは強くなった。心を落ち着かせるために市民農園に取り組んでみた。北海道農業公社の紹介で、道北に足を運び酪農も体験してみた。それで思いが抑えられるのではと。しかしそれは逆効果。土にまみれ、作業で汗をかくたびに、農を生業としたいという願望が強くなっていったのだ。

「ある時、自分が家庭菜園で作った野菜を、子どもたちに食べさせたんですね。そうしたら目を輝かせて『おいしい』と。その瞬間にものすごい喜びを感じたんです。あ、自分が求めてるのはこの気持ちなんだと」

奥様にも思いを打ち明けてはいたが、最初は反対された。しかし熱意が込められた言葉は、シンプルである分、相手に力強く響く。奥様も、次第に話を聞いてくれるようになった。

「最後は妻も、これ以上反対してもムダって思ったんじゃないかな(笑)」

平成20年、須郷さんは就農の夢を抱いて再び北海道農業公社を訪ねる。そこで最終的に紹介されたのが栗山町だった。

地域で研修生を受け入れる、
というユニークな取り組み。

何度か足を運んだ栗山は、須郷さんの農に求める要件を満たしていた。札幌に近いこと、適度にまちであること…。

「とりわけ栗山の農業公社の方の親身な対応や、就農希望者の気持ちを汲んだ支援や制度のあり方には心が動かされました」

栗山の場合、就農希望者は一人の親方(研修受け入れ農家)の農場に通い、約2年間研修に取り組むのが一般的だ。しかし若々しく、人受けが良く、子どもも多い須郷さんを見て、公社の担当は一人の親方ではなく『地域全体で面倒を見る』というスタイルが良いのではと考えた。決められた期間でより濃密な経験を積めること、就農でだけではなく須郷家族の生活面の応援も期待できることなどもその理由だった。

「勧められたのは日出地区。古くからの農家さんが多く、稲作から園芸までさまざまな栽培に取り組んでいるエリアです。自分はそこの6軒ほどの生産者の畑やハウスを回り、研修を積んでいくことになったんです」

複数の農家を回るという研修は、人それぞれの多彩な技術やノウハウを目の当たりにできるというメリットがある一方、その中から自分に適したものを自分の判断で取捨選択していかなればならない、という難しい一面も持つ。このため、全ての研修生にとって良策とは限らない。須郷さんも実際に迷う場面があったそうだが、結果的には日出地区のご年配農家さんらに孫のように可愛がられ、その後同地区でちゃんと就農を果たす。もちろんこの時点ではそんな未来が待っているとは、須郷さん自身知る由もない。

ビールとジンギスカンでお出迎え。
日出の生産者の優しさに育まれて

平成25年3月、須郷一家は住み慣れた札幌を後に、奥様と7歳、4歳、2歳の三人の子どもを伴って栗山へと移り住んだ。住まいは町が用意してくれた研修者用住宅。居住スペースは札幌時代より狭くなったが、夫婦や家族の心の距離もぐんと近づいた。

4月からは研修がスタートした。日出地区の稲作農家さんのお宅へ。何度か通う中で次第に打ち解けていった。

「籾まきの手伝いに行った時、畑の一角でジンギスカンを焼いたのですが、そこに僕らも招いてくれたんです。ビールやお酒も振る舞っていただいたりして。農家の方々にさらに近づけたみたいで、うれしかった」

2年間の研修生活。研修の同僚は、なんと奥様。須郷さんの奮闘ぶりに心動かされ、率先して研修生になったのだ。

籾まきから収穫までの稲作、ビニールハウス作り、その中でのトマト栽培、露地での根菜作り…。奥様と連れ立ち、日出地区の生産者さんの田畑や集荷場などを回る毎日。ありがたいことに、どの農場にも素晴らしいキャリアを持つ「教科書たち」がいた。須郷さんはその一人ひとりの所作や作業をつぶさに見つめ、取捨選択しながら自分のものにしていった。もちろん声をかければ、その心優しき教科書たちは、惜しげもなく自らのノウハウを須郷さんに伝授してくれた。

こうして日出地区の農場で営農技術を磨いていく一方、須郷さんは消防団に加入したり、子どもたちの学校のPTAの集いに積極的に顔を出すなど、交友範囲を広く深くすることにも尽力していく。小さな町で暮らしていくためには、生活レベルでも人脈や信頼関係を築くことが大切と考えていたからだ。

心に沁みた「こいつなら大丈夫」の言葉。
そして念願の日出地区での就農。

新規就農を実現するためにはいくつかのハードルがある。その最たるものが土地探しだ。思うような農地になかなか巡りあえず、就農が先延ばしになるケースも決して珍しくはない。しかしこの土地探しでも須郷さんは幸運を勝ち取る。

「栗山の公社の担当に、同じ日出地区で暮らしていたとある農家さんを紹介していただいたんです」

土地の一角で自分が食べる分程度の畑作に取り組んでいる高齢の女性だった。すでに離農されていたが、土地への思い入れは強かった。代々続く大切な農地を手放したくない、気持ちは十分すぎるくらい理解できた。

「栗山の公社の方々や日出の生産者さんたちが、こいつなら大丈夫、俺たちが保証するからって言ってくれたんです。それを聞いて、持ち主の女性も納得してくれて。あの時もうれしかったなぁ」

土地は須郷さんが思い描いていたミニトマト栽培に最適な環境。何よりロケーションは自分が研修で2年間通った日出地区。回りには懇意にしてくれている生産者さんが大勢いる。まさに鬼に金棒状態だ。

こうして平成27年4月、須郷さんは栗山町日出地区の新規就農者として、奥様とともに農の世界への真のデビューを果たしたのだ。

支えてくれた人に応えるためにも
農のネットワークを広げていきたい。

取材に伺ったのは平成28年の夏。ハウスの中には真っ赤に色づいたミニトマトがたわわに実っていた。奥様と一緒に収穫作業に取り組んでいたのは、須郷さんの弟さん。「大変だろうけれど、いつも楽しそうに働いている兄を見て、自分も農の世界にトライしてみようと思った」と胸の内を聴かせてくれた。現在江別の方で研修生活を送っているとも。

農は仕事であると同時に、生き方でもある。須郷さんのまっすぐな生き方は、自分の生き方を模索していた弟さんの人生の羅針盤となったのだろう。

須郷さんに就農2年目の現状と思いを聞いてみた。

事前の段取りが悪く、全てが後手後手に回ってしまったのが一年目。その反省を踏まえ今年はスケジュールや計画を綿密にし、販路拡大なども手がけました。作物もミニトマトを主体に大玉トマト、アスパラやかぼちゃなどにも挑戦しています。今のところは順調ですが、経営面ではまだまだ取り組みたいことがあります」

一緒に栗山に越してきた子どもたちは学校にもすぐに慣れ、友達とともに元気に駆けまわっているとか。かつては仕事の話などほとんどしなかった奥様とも、今では毎日のように農を語り合っている。「意見がぶつかっても見ている方角は同じなんです」と、照れくさそうに笑う。

インタビューの終わり、就農先が栗山町で良かったですねと素直な思いを告げた。須郷さんはそれに深くうなずき、こう言った。

「ビニールハウスを建てる際、苗を植える際、加温ボイラーを設置する際、収穫の際… ことあるごとに日出の方や地区外の農家の方、栗山の仲間が手伝いを買って出てくれたり、親身にアドバイスしてくれたり。資材や機械を無償で頂いたこともあります。今の自分たちがあるのはそんな方々のお陰なんです。だからこそ、お返しをする意味でも、現状で満足なんかできない。毎日もっと前に、もっと上に、という気持ちです」

〈平成28年7月取材〉

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