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ハナシの畑

遠回りしたけれど、栗山で「農家の嫁」になり、やりたいことが見えてきました。

栗山町御園地区
『田中農園』

田中 彩さん

御園地区で主に米といちごを手がける「田中農園」。
ここに嫁いできたのが埼玉県出身の田中彩さんだ。
元気な笑顔からはエネルギッシュな人柄が伝わってくる。
が、お話を聞いてみると想像以上。
アメリカやハワイ、イタリアなど、
世界を飛び回ってきた経歴を持っている。
そんな彼女が栗山町の大地に根を張った経緯とは。

家族がいつも一緒の、
農のある暮らしに魅了されて。

彩さんは埼玉県春日部市出身の31歳。栗山町ほどではないが、のどかな田園地帯で幼少期を過ごした。野を駆け、木に登り、時に自生するノビルをかじりながら。外遊びが大好きだったことから、自然や環境にまつわる学びに興味が湧いた。

「高校卒業後は東京農業大学短期大学部に進みました。静岡の農家に研修に行った時、自宅の夏みかんでマーマレードを作ったり、お茶の加工品製造を手伝ったりするうちに農業って楽しいと思いました…実態も何も分からない短期間なのに(笑)」

学生時代に彩さんが興味を抱いたのは有機農業。短大卒業後には1年半の海外農業研修に出かけた。行き先はアメリカのシアトル近郊。大規模農業のイメージが強い国だが、研修先は家族が営む小さな有機農家だった。

「栽培品目は野菜やハーブ、花など多種多彩。自分たちが暮らしていける分だけを小さく売りながら、野生のブラックベリーで自家製ジャムを手がけたり、庭のタイムで料理の味を調えたり、そんなライフスタイルに魅了されました。私は共働き家庭で育ったので、家族がいつも一緒という農のある暮らしにもあこがれを抱いたんです」

農業の面白さにのめり込んできたところで研修期間が終了。彩さんは日本に帰国…したかと思いきや、3カ月後には同じ農場にUターン。半年間、再びホストファミリーと農業に携わった。

夏は南空知の農家で、
冬は栗山の小林酒造でバイト。

彩さんの人生は実にアクティブ。シアトル近郊の農家からハワイへ引っ越し、帰国後は東京でOLとして勤務。しばらく腰を落ち着けたのもつかの間、またもやシアトル近郊へ飛んだ。さらに、帰国後はイタリアへの一人旅に出かけたという。一体いつ北海道に…。

「ややこしい経歴ですみません(笑)。アメリカの農業研修先のシアトルは雪こそあまり降らないものの、北海道の気候に似ているんです。寒さと戦う野菜はおいしくなることを体感していたので、26歳のころにボラバイト(農業、牧場、ホテルなどのアルバイト求人サイト)で見つけた真狩村の農園で働くことにしました」

彩さんが働きたかったのは小規模の有機農家やファームレストランを展開する農園。ところが、バイト先は比較的大規模な営農スタイルだった。同僚やインターネットから情報を得ながら、次は長沼町の少量多品目の農家で働くことを決める。

「長沼の農家で働くうちに雪が降り始め、冬の仕事を探さなきゃ…と思っていたところ、職場の人にすすめられたのが栗山でお酒を醸す小林酒造のバイト。南空知エリアの農家さんが冬の出稼ぎに働くことも多いんです」

実は、後に結婚する田中尋さんとも小林酒造で出会った。が、この時はそんな未来を知る由もなくお互い同僚として日本酒を造る仕事に精を出した。

栗山のコンパクトな暮らしに大満足。

彩さんは翌年も、翌々年も、夏場は南空知の農家でバイトし、冬場は小林酒造で働いた。農薬を使わずに少量多品目の作物を育て、食べ方を提案してみたい。ぼんやりとした夢は描いていたが、新規就農の研修を受けるという一歩を踏み出すまでには至らなかった。

一方で小林酒造でのバイトは3年続けて尋さんと同じ部署。数奇な縁から二人は交際をスタートさせた。彩さんは尋さんにお願いして田中農園でパートとして働き、いちごの収穫や出荷を経験。農地の一角でサラダミックスやハーブを中心に西洋野菜を育て始めた。

「田中農園の米といちごは、農薬をできる限り使わずに作っているものの慣行栽培。私は無農薬で好き勝手に野菜を育て始めたので怒られると思っていましたが、主人は自由にさせてくれました…もう、やさしさの塊なんです(笑)。田中家は家族の仲も良く、困った時には必ず助けてくれる温かい家庭。農家に嫁ぐというと一般には大変に思われそうですが、私の場合は絶対に楽しい未来が待っていると感じて2019年2月に結婚しました」

彩さんと尋さんの住まいはマチナカ。駅前通りの商店で生活に必要な物は一通りそろえられ、少し足を延ばせばファストファッション店やホームセンターもある。コンパクトに暮らせる栗山町に十分に満足している様子だ。

「栗山って人口に対して飲食店がすごく多いと思います。繁忙期は難しいですが、主人と飲みに出かけるのも楽しいですね」

アメリカの農業研修で感じた食育の必要性。

現在も彩さんはいちごの作業をメインに担当しながら、畑の一角で無農薬の野菜を栽培。収量は少ないが、マルシェや直売のイベントで自ら販売するなど、身の丈に合った小さな農業にも手応えを感じている。

「夏には農家の青年団体で毎週のようにBBQをしたり、近所の人がおすそ分けしてくれた野菜とウチのいちごを物々交換したり、都会では味わえない経験にも大満足。それに北海道胆振東部地震の時には、発電機があり、食糧の備蓄があり、簡易トイレも備えている農家って強いと思いました。その恩恵に与っている分、青果物が足りない方に向け、軽トラ市でウチのいちごを届けてもらったんです」

彩さんと尋さんが今後力を入れたいと思っていることは食育活動。田中農園はグリーンツーリズム協議会に加入し、この5月には札幌の中学生たちに農業体験をしてもらった。いずれは農泊ができる施設を立ち上げ、薪割りや土鍋での炊飯、よもぎ餅づくりなどを子どもたちに教えたいと真剣な表情で語る。

「アメリカで農業研修を受けていた時、研修先の一家がネグレクトに遭っていた子を引き取りました。チョコレートとオレンジジュースしか口にしたことがなかったといいますが、無農薬のトマトを食べさせてみると丸かじりしたんです。その経験から食べ物で体が作られていることを伝えるのは大事なんだと思いました」

話を終えたところで、ご主人の尋さんが田んぼの作業から戻り、「ずいぶん盛り上がっていますね」と笑顔を覗かせた。「やさしさの塊」と表現するのが一目で分かるほど柔和な雰囲気。ハツラツとした彼女が子どもたちに食の大切さを伝え、やさしい彼が子どもたちを上手にまとめる。目を閉じると、そんな未来が脳裏に浮かんだ。

〈令和元年7月取材〉