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ハナシの畑

子どもたちが栗山での就農にも、生活環境にも満足している…それが何よりうれしいんです。

栗山町中央地区
『ほりほりファーム』

堀 純一郎さん・貴子さん

栗山町のマチナカからクルマで約5分。
便利な立地にいちごのハウス6棟と選果場を構えるのが
「ほりほりファーム」の堀純一郎さん、貴子さんご夫婦。
お二人が愛情たっぷりの視線を注ぐ先には、
仲睦まじく遊ぶ四人のお子さんの笑顔が弾けていた。
幸せそうなご一家がこのまちで就農し、
暮らすようになったストーリーから紐解いていく。

農業に興味を抱いた「ホロ苦い」理由。

純一郎さんは札幌市出身。祖父は岩見沢市の農家だったが、父は家業を継がずにサラリーマンの道を選んだ。経営の波が平坦とはいえない農の世界を見てきたからだろうか、「仕事をするなら安定のサラリーマン」と聞かされて育ったと振り返る。

「僕は芸術やデザインが好き。高校卒業後は大学の美術系学部に進んだんです。妻とは大学院時代に知り合い、2004年に結婚しました。前職は関東圏のパッケージデザイン会社。向こうで子どもを三人授かりました」

ここまで聞いていると実に順風満帆。ところが、東日本大震災を機に子どもたちの安全を考え始め、北海道へのUターンが頭をよぎるようになった。パッケージデザインの仕事も嫌いではなかったが、どこか空気をつかむような手応えに薄れていく。さらに、堀家にはこんな事情も。

「恥ずかしながら、僕は音楽を聴くのが大好きで、レコードの買い物となると財布の紐が緩んじゃって。そんなある日、気が付くと妻が庭で野菜を作り始めたんですね。何かと思えば食費を浮かせられるから…と。猛省しましたね」

純一郎さんは家庭菜園を手伝いながら、採れ立ての野菜をひとかじりした。瑞々しさ。味の濃さ。豊かな香り。すべてがスーパーに並ぶものとは比べ物にならなかった。加えて、「種を植えると土から食材がどんどん生まれる…この無限とも思えるサイクルに胸が高鳴ったんです」とポツリ。それが農の世界に足を踏み入れる前夜だったのだ。

栽培作物も栽培方法も
入念に考えた上で栗山町へ。

純一郎さんと貴子さんは、知り合いの稲作農家を訪ねたり、東京の「新・農業人フェア」に参加したり、情報収集に東奔西走。農家になるという決心は固くなる一方だが、手がける作物には迷いがあった。

「栽培作物を決めるまでに時間をかけ、ぶどうやプルーンの農場も見学しました。最終的にいちごに決めたのは、初年度から収穫できることに加え、ケーキ用などの需要も高く、新規就農者でもある程度の収入が見込めると考えたからです」

その後は貴子さんの知り合いが営むいちご農家のもとで、休日を返上して修業の日々。定植や土壌消毒といった作業を教わった。栽培方法を吸収することにも余念はなく、有機農業や自然栽培、果ては水稲のアイガモ農法(水田に合鴨を放って雑草や害虫を食べてもらう手法)まで見学したという。

「ただ、最終的には慣行栽培にしようと決めました。もちろん、できる限り防除の回数を減らすという理想のもとで。というのも、本州は産地と消費地が近いので宅配や直売でも生計が立てられますが、北海道の場合は真逆の環境。売り先の確保が難しそうで」

実に入念な就農への準備。ところで、栗山町の決め手は何だったのだろう。

「今は亡き叔父が栗山で農業を営んでいたんです。農地はすでに人に貸しているので手に入れられる望みは薄かったんですが、新・農業人フェアで栗山町農業振興公社の方が『叔父さんの農地で就農できなくても全力サポートする』と言葉をかけてくれました。その心強さに惹かれたんです」

地域ぐるみで研修生の面倒を見る温かさ。

純一郎さんと貴子さんは本サイトにも登場している栗山町御園地区のいちご農家、小川さんのもとで研修することに。いちご栽培の技術も知識もあますことなく教わったが、おいしさを左右する収穫時期や防除のタイミングなどの勘どころは見て学ぶしかなかった。

「小川さんは過去に有機農家で働いた経験もある超エリート。いちごは年に30回ほど農薬を使うのが通説ですが、5回程度に抑えていました。自分にこれほどの力が身につけられるのだろうか…と不安になることも多かったです」

加えて貴子さんが四人目の子どもを出産。我が子を背負いながらの農作業は女性の体には堪え、疲れが抜けない日々が続いた。小川さんも選果場にベビーベッドを用意してくれるなど温かな配慮でフォローしてくれたが、「このままで本当に就農できるだろうか」という焦りは募るばかり。

「そんな時、御園地区の先輩いちご農家さんが手を差し伸べてくれました。僕は小川さんの研修生であると同時に御園地区全体の研修生だと親身に相談に乗ってくれたんです。幸運なことに、いちご農家の有志が『いちご部会』を立ち上げるタイミングとも重なり、仲間に入れてもらえることになりました」

この当時が堀さんご夫婦の中でも一番の試練の時。けれど、「多くの先輩方に助けてもらい、ようやく乗り越えることができました」と真剣な眼差しを向けます。

営農スタート後の新たな「先生」に、
高設栽培を教わって。

純一郎さんと貴子さんは2年間の研修を終了。叔父の農地は貸し出されているままだったことから、栗山町農業振興公社に農地と家を探してもらった。紹介されたのが現在の場所。小学校には歩いて通える上、幼稚園も近隣。子どもの送り迎えがない分だけ、農作業に時間を割けることもメリットだった。

「想像以上に素晴らしい場所を見つけてくれた栗山町農業振興公社には感謝の一言。農地の契約も何もかも完全にクリアした上でスムーズに準備を進められました」

営農の準備でも栗山町の先輩方が次々と手を差し伸べてくれた。農具やハウスは小川さんの紹介で購入し、マチで知り合いになった業者にハウスを建ててもらった。近所の農家もビニールを張る作業を無償で手伝ってくれた。が、課題がないわけではなかった。

「この土地はいちごの露地栽培にあまり向いていなかったんです。困っていたところを助けてくれたのがいちご部会の先輩方。栗山で唯一、高設栽培(地面より高い位置に棚を組み、いちご専用の培養土などで作物を栽培する方法)でいちごを育てている鵜川さんに技術を教えてもらえるようお願いしてくれたんです」

鵜川さんは申し出を快く受け入れ、高設栽培の肥料のあげ方や管理方法を丁寧に教えてくれた。「2~3日に一度は電話で様子を聞いてくれたり、果てはいちごのベッドとなる発泡スチロールのお下がりまでくださって…感謝してもし切れません」と真っ直ぐな瞳を向ける。

のどかで自然にたっぷりふれられる
教育環境にも満足。

鵜川さんの指導のおかげで初年度の収量はまずまずの結果。いちごの状態や肥料の廃液の濃度を常にチェックしなければならない高設栽培も、「性格が細かい自分には向いているかも」と笑顔を見せる。いちご部会では全量をJAに出荷できるのも収入確保の面では大助かりだった。

「昨年は僕ら夫婦の不安が子どもたちにも伝わっていたのでしょう、どこかピリピリしたムードが漂っていました。ただ、今年はいちご農家としてやっていけそうな安堵から、家族が柔らかな空気に包まれたと思います」

子どもたちがいちごの箱を折ってくれたり、夕食の支度をしたり、ご夫婦を健気に支えるシーンも増えたとか。小学校や幼稚園も関東に比べてのんびりとし、地域ぐるみで運動会の応援をするような和気あいあいとした雰囲気も家族の性に合っていた。

「栗山は田植えや魚捕りなどの自然教育体験も盛ん。つい最近も三女が学校行事でハサンベツ里山地区に行くと張り切っていました。地域のご年配も孫のように可愛がってくれて本当にありがたい限り。最近、子どもたちに栗山に来て良かったのか尋ねたら、心からの笑顔と『うん』を受け取りました。それが何よりうれしいんです」

生きることとは切り離せない食を育てる農業の仕事。栗山町のやさしい人々。自然にたっぷりとふれられる教育環境。そのすべてが堀家の理想と重なったのだ。ところで、サラリーマンを辞めたことに、ご両親はどんな感想を?

「最初は驚いていました。でも、今は僕らが一粒でも多く、品質も高いいちごが採れるようにと農作業を頻繁に手伝ってくれています。両親にも本当に感謝するばかりです」

ふと視線を奥に向けると、貴子さんのいちごの選別作業が一段落ついた様子。最後に、新規就農を果たした今の気持ちを率直に語ってもらった。

「農業はこれからの時代、最も大切な職業の一つになると思っています。食べ物を作るという仕事に従事できることの喜び、土から作物が生まれることの不思議さなど、日々発見の繰り返しです。農業は大変な面もあるけれど、自分たちの力でやり遂げる手応えに加え、地に足をつけて仕事している実感があります。子どもたちの笑顔はもちろん大きな力になりますが、それ以上に、私たちが選んだ仕事を私たち自身が楽しみ、誇りを持ち、これからも工夫して取り組んでいきたいと考えています」

〈令和元年7月取材〉