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ハナシの畑

目指す農の姿を伝えたら、その糧になる環境を与えてくれる。本当に力になる農業研修です。

栗山町北学田地区
『有限会社 湯地の丘自然農園』(研修先)

久木田 聡さん・陽子さん

1北海道からおよそ1500km。
久木田聡さんは遠く鹿児島の地で150年以上前から
代々農業を営んできた久木田家の三男。
けれど、不思議なことに今は鹿児島とは風土も地域性も異なる栗山町で、
農業研修生として奮闘している。
彼が歩んできた道のりとは。そして思い描いている青写真とは…。

鹿児島に戻るつもりが、
北海道は栗山町へ!?

7月下旬の栗山町。あいにくの通り雨が猛烈な勢いで地面を濡らしていた。大きな雨粒が木々の葉を叩き、バチバチと音を立てている。「早く家の中へ。濡れちゃいますよ」。招き入れてくれたのは結婚6年目の久木田聡さんと陽子さん夫婦。やさしそうな微笑みといい、ナチュラル系の服装といい、どこか似た雰囲気を持つ素敵な二人だ。

久木田さんは33歳。農家の息子に生まれた巡り合わせとして、小さなころから農が隣にある暮らしを送ってきた。子どもだてらに朝早く起きて収穫や選別を手伝ったり、夕方遅くまで雑草を抜いたりする日々。時には友人からの遊びの誘いを断ることも。ありがちなストーリーなら両親に反発を覚えて…と展開しそうなものだけれど、久木田さんの場合は違った。

「僕にとっては農作業も、それを中心としたライフスタイルもごく自然なもの。受け入れるとか、受け入れないとかではなく、もう体の一部という感じだったんです。子どものころも、ただただ畑で体を動かすのが心地よくて、楽しくて。将来は農家を継ぐんだって疑わなかったですね」

とはいうものの、久木田さんは家業をすぐに手伝ったわけではない。高校卒業後は大学の農学部に進み、東京の大手酒類食品卸企業に就職した。兄が実家の農家とは別に農業生産法人を立ち上げたため、別の角度からその手助けはできないかと考えたのだ。

「流通の仕組みを知ることで野菜をどう出荷するのがベストなのかとか、売り先を確保するための人脈づくりとか、うちの農場の後方支援になることが学べると思って。いずれは実家に戻るつもりでしたからね。」

 会社勤めを続けておよそ7年の月日が経った2013年。久木田さんはこの節目に鹿児島に戻り、就農することを決心する。ところが、具体的な就農について兄に相談したところ、その口から意外なセリフが飛び出した。「北海道の栗山で就農してくれないか」。

垣根を全く感じさせない、
栗山人のウェルカムな姿勢。

時をさかのぼること2010年。久木田さんの兄が営むサンフィールズは栗山町に5haほどの農地と家を購入した。狙いは夏の鹿児島ではつくれないレタスやキャベツ、ブロッコリーなどの野菜を冷涼な北海道で栽培し、サンフィールズブランドとして通年供給するためだ。けれど実際には、栗山町では夏場の2〜3カ月間だけ集中的に農作業を行う程度。それ以外の時期は農地を活用することはほとんどなかった。

「栗山町の農地を有効に使い、会社として農業の展開を広げてみないか」。久木田さんは自身に課せられた使命にたちまち心がワクワクした。とはいえ、栗山町は故郷の鹿児島とは環境が全く違う上、人間関係もイチから積み上げなければならないはず。抵抗はなかったのだろうか。

「高温多湿な鹿児島と比べ、北海道は涼しくて暮らしやすそうで(笑)。それに兄が栗山町に農地と家を買った時、栗山町農業振興公社や多くの農家と交流を深めてくれていたんです。僕らを受け入れてくれる研修先候補が用意されていたことにも安心しましたし、人付き合いの面でも不安はないと聞きました。幸運というほかありません」

久木田さん夫婦が兄の家や土地を借り、栗山町で暮らし始めたのは2014年の4月。二人を研修生として受け入れたのは、兄と頻繁にやりとりしていたという湯地の丘自然農園だ。ところで、陽子さんは久木田さんが農業を始めること、ましてや遠く栗山町に住むことに反対はなかったのだろうか。

「いずれ農業を始めることは聞いていたので抵抗はありませんでした。加えてもともと自然や植物が大好きだから、栗山町での暮らしは願ったり叶ったり(笑)。研修先のお母さんたちも本当にやさしくて、“カッコウが鳴いたら豆を蒔く”みたいな農家の知恵から、味噌づくりなどの生活の知恵まで教えてくださいます」

久木田さんが深くうなずきながら言葉を続ける。「ご近所さんも、研修先の先輩たちも、栗山町の人たちは誰もがウェルカムな姿勢。庭先で作業をしていると資材を貸してくれたり、兄から借りている畑を手伝ってくれたり、“外から来た人”なんて垣根は全くなく、皆で栗山町を盛り上げようという気運が根づいているんだって感じます」

奥様の陽子さん

栗山町と鹿児島で、
多品目の“通年提供”を!

研修1年目は農業の一連の流れを学んだ。種まきや防除、収穫のタイミングなど専門書にも書かれていない勘どころから、土地利用型の大規模農業のノウハウ、常に一つ上のおいしさを目指すための探究心まで。見るもの、聞くもの一つひとつが経験値として積み重なった。

久木田さんは冬の間も栗山町農業振興公社が開く研修に積極的に出席した。とりわけ熱心に耳を傾けたのは銀行マンの講習だ。実は久木田さんは2年間の農業研修が終わった際、兄から畑を購入し、栗山町にサンフィールズの北海道拠点となる法人を立ち上げる予定。経営者目線を養うためにも、お金の流れや収支計画についてなど、勉強することはいくらでもあるのだ。

「栗山町は多品目の作物を栽培できるのが強み。サンフィールズの得意分野の葉ものに限らず、この地だからこそ甘みたっぷりに仕上がるミニトマトやスイートコーンも手がけたいですね。高品質な野菜の生産を通じ、サンフィールズブランドのファンを増やして、取引先をもっと拡大したいと考えています」

柔和な表情から一転、企業経営を意識した鋭い眼光に。研修2年目からは教わったことを自らの手で実践するための時間を空けてもらった。今はレタスやオクラ、ミニトマトの栽培を、種まきから収支の管理まで行っている。いわばそれは「経営」の縮小版。自分が目指す姿を伝えることで、研修先がその糧となる環境を与えてくれるのは本当にありがたいと久木田さんは感謝の言葉に力を込めた。

「栗山町と鹿児島での“多品目の通年供給”が成功したら、そのノウハウを関東や関西に展開するのもアリですよね。と、壮大な夢を語る前に、一人前の経営者として早期に売上1000万円をたたき出すのが目下の目標。気を引き締めなくちゃ」

辛いとか、苦しいとか、無理だとか、久木田さんの口からネガティブな言葉が飛び出すことはなかった。その真摯な眼差しからは決して建前を語っていたわけではないことが見てとれる。これほど前向きでいられるのは、やはり久木田さんには脈々と受け継がれてきた農業人としての血が流れているからなのだろう。

〈平成27年8月取材〉